錦心流琵琶・全国一水会 宗家 永田錦心
宗家 永田錦心

<流祖紹介>

 「月に村雲花に風、心のままにならぬこそ、浮き世にすめる習なれ」

 この歌は、錦心流を創流した永田錦心(武雄)が得意とした「琵琶歌・石童丸」の一説ですが、当時の琵琶会に新風を吹き込む流麗にして格調高い琵琶楽を目指して、従来からの薩摩琵琶を基本に他の邦楽がもつ民族的な哀愁感を取り入れ、新しい流派を創った師の心情がひしひしと伝わってくる名演奏だと思います。

 師は、明治18年東京芝虎ノ門にうまれました。幼時より絵画の才能に秀で、日本画の田口米作・寺崎広業画伯に師事し文展にも人選するなど、若くしてその非凡さを嘱望されていましたが、明治37年、琵琶の音色に見せられて薩摩琵琶・肥後錦獅の門を叩きました。日ならずして師匠も驚く才能を発揮した錦心師は、ついに明治39年(正式には大正5年)念願の新しい流派「錦心流」を創流し、昭和2年、43歳で夭折するまでの間、自ら宗家として流派の発展と後進の育成に全力を尽くし、琵琶会における「錦心流」の存在を確立すると共に、門下から多くの人材を輩出し今日の流派の礎をつくられたのでした。

 現在の「錦心流琵琶・全国一水会」は、宗家制度を採らず「理事会制」と都道府県単位による「支部制」により流派の維持・運営が諮られています。また、全国一水会の会名は、明治39年創流の際、作詞家・高松春月氏の発案により、永田の「永」の字を二分し「一水」として読み替え会名とし、当時から現在に至るまで水号と称して雅号にも用いております。

 流派としての大会(演奏会)は、明治42年、神田和強楽堂に於いて第1回一水会大会が開かれ、以後、毎年回を重ね今年の開催は第97回を数えるまでになりました。

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